子供をめぐるあれこれ

鎌ヶ谷市立西部小学校校長 大久保俊輝

江戸川区児童虐待対応について(2010/3/7)

江戸川区が対応の甘さを認め改善策を出しました。歯科医の発見をもっと真摯にそして最悪な状況を想定する危機管理意識があればと悔やまれます。失ってからいつも対策が立てられますがそれでいいのかといつも憤りを覚えます。「賢人は平時に非常時を思い、愚人は非常時に平時を思う。」という鎌倉時代の哲人の言葉が浮かびます。

※江戸川区立松本小学校岡本海渡さん虐待死事件について事件検証報告はこちら

薬の使い方指導(2010/2/21)

健康教育では、中学校の保健体育に「薬の正しい使い方」の指導内容が入ったことを受けて、小・中連携の観点から小学校段階での保健指導でも学校薬剤師などと連携した授業の試みが始まっています。
また安全教育では、阪神・淡路大震災から15年を迎えた神戸市などで、防災訓練の見直しや、家庭科などでの住居の学習の中で危険予防教育の試みが広がっています。
ちなみに「薬の正しい使い方教室」が”容量守る大切さ、実験で確認”と題して千葉市の真砂第四小学校043-278ー2574で行われ、血中濃度の違いをペットボトルに入れた薬品の色の違いで観察する授業が学校薬剤師の丸山留美さんと養護教諭、学級担任などがサポートして行われたことが日本教育新聞一面に掲載されていました。

学校現場から(2009/12/18)

教師の肥満
学校にも子どもと走ることもできない肥満教員が大勢います。議会で指摘されるため、指導力不足教員を指導することに教育委員会は御旗をあげていますが、その前に肥満教師を指導しているという話は聴いたことがありません。また、下手に話をするとセクハラやパワハラや組合が騒ぐから触れない傾向にあります。子どもの肥満の前に教師が健康体であるよう努力することが大切です。頭でっかちの教師を量産するのではなく、心身共に子どもと一緒に行動できる教師を揃えることこそ任命権者の責務と思います。その意味では、教職員の健康診断も数値だけでなく、歩き方や適度に走れるかなども判断に加えていくべきではないでしょうか。肥満度が改善されない教師は、療養させるとかの処分があってしかるべきと考えます。肥満の先生に受け持たれた子どもは、特に低学年は可哀想です。教委はできないでしょうから、医師と校長の権限により、肥満改善命令が出せればいいのですが。
肥満傾向の子供への指導
小学校では、聞き上手、誉め上手が指導上手になっているように感じます。恐怖心を煽っても納得しないと継続ができません。その納得をどのように促していくかがポイントです。自分が肥満と分かり始めると、その話題は避けようとしますし、居直る場合もあります。指導は、指示や伝達でなく、納得にあると私は思っています。特に、小学校中学年高学年段階での意識付けが大切に思います。その意味では小象の会が行っている学校講演は必須にすべきと思います。

大久保俊輝先生の自己紹介

初めに
教育の改革は極めて困難である。それはほとんどの友人達が濁流に飲み込まれていったからである。しかし未来のために誰かがやらなければならないことがある。出世よりも人としてしなければならないことがある。だからぶれない のかもしれない。
ポリシー
立場や役職で人を見ない。道が二つあれば厳しい方を選ぶ。風評や批判を恐れない。
高木は風に妬まれる。左遷は勲章。
『先生の高い志とたゆまぬ努力、めげずぶれず常に一貫した心にいても励まされています』学校評議員の鈴木順子さんからエール
役職
全国連合小学校長会機関紙編集委員、千葉県校長会広報部員、日墨文化交流協会副代表、文教大学講師神田外語大講師、元県教委任用係長
現在まで
建設省建設大学校から富士短大夜間部に通信教育で単位を取り、26歳で千葉県の小学校教員になる。望んで荒れた学級を担任。その溢れるバワーをスポ ーツに向けサッカー市内優勝、サッカー専門委員長に。
最初に書いた教育論文は 『緘黙児A君との関わり』その後も学校を変わる度に自分を振り返るために実践を論文にまとめる。
体験教育を重視し生死や使命感を培うために20年前から特養ホームとの交流を始める。昨年から今年にかけて鎌ケ谷で行った『上総掘りでビ オトープ』も県や企業の助成公募から選考され資金を調達実施したもの。現在、 日本教育新聞のモニターとして所感や提言を全国に発信中
活動
  1. 教員を目指す学生と課題を持つ子ども達を率いて毎年富士山登山へ挑戦
  2. 水源確保、地域連携、自然回帰、世代間交流、環境学習のために『上総掘りによるビオトープ』づ くりを船橋、鎌ケ谷で実施
  3. 地域の教育相談や教育講演会などを無料で年30回ほど行っている。我が子も発達障害だから同苦できる。
交友
篠宮先生とのセンセイションズ、映画監督、映画プロデューサー、バイオリニスト、作曲家、児童文学作家、 実業団マラソン監督、新聞記者、書家、茶道家、上総掘り仲間、日本舞踊家、天文家仲間、弁護士、経済人など
趣味
  1. 富士朝霧高原でのパラグライダー
  2. 竹炭焼き
  3. 書道
好きな所
京都の琵琶湖疏水、雨中嵐山、ブタペスト、バンフ、妙義山、そしてもちろん富士山
尊敬する人
農家の人、漁師、マタギ、町工場の人、貧しくとも心豊かな人、忙しいを充実と捉える人、笑顔の綺麗な人、子どもから好かれる人
教師になった理由
子どもが好きだった。子どもから何故か好かれた。ものづくりの前に人づくりが大切と実感した。度量のある魅力的な教師に会えなかった。
エピソード
小学校3年の時に落ち着きがなく国府台病院に連れていかれた。中学校入学式で3人と喧嘩して母が呼び出された。高校時代日々怠学。大学校時代災害復旧の現場を経験し自分の非力さ甘さを思い知らされる。転機となった。